Casa Agria Specialty Ales / カサ アグリア スペシャリティエール
創業:2015年
拠点:カリフォルニア州 オックスナード
カサ アグリア スペシャリティエールは、樽内発酵や樽熟成させたバレルエイジドビール、複数の野生酵母を使い発酵させたファームハウスエール、そして創意工夫を凝らしたIPAの醸造にこだわりを持つ、カリフォルニア州南部のベンチュラ郡の小規模ブリュワリーです。
2015年12月に、エリック・ドリュー、マイク・ウェヤント、ライアン・エクスラインの3人で創業しました。
受賞歴を持つホームブリュワリーとして始まったカサ アグリアは、創業から5年間でカリフォルニアで最も人気のあるヘイジーIPAと樽熟成のワイルドエールの生産者の1つに成長しました。
創業当時は発酵タンク1つとささやかなテイスティングルームが併設された50坪ほどの施設でしたが、今では240坪の敷地に発酵タンク11個と大きなテイスティングルームを構えるまでになっています。
また、昨年からは"ダンク"なウェストコーストIPA、バレルエイジドスタウト、そして飲み口爽やかなラガーやピルスナーなど醸造するビールのバラエティを拡げています。
今回、日本で取り扱いを開始するにあたって、共同創業者の一人であるマイク・ウェヤントが創業のきっかけや現在に至るまでの成長の過程についてコメントを送ってくれました。
エリックと私は、1999年に地元ベンチュラの短大で出会いました。
二人とも建築デザインを専攻していましたが、当時の私たちはただの知り合いでお互いのことはよく知りませんでした。
二人とも翌年には大学に編入することになっていたのですが、どの大学に行くのかお互いに話し合っていませんでしたが、知らず知らずのうちに、二人ともオレゴン大学を進学先に選んでいたのです。
最初の授業で偶然出会い、すぐに良い友達になりました。
見知らぬ土地で出会った同郷の友ということで、お互いに惹かれ合ったのでしょう。
今でもこの時のことを嬉しく思っています。
エリックと私がクラフトビールに興味を持ったのは、オレゴン大学在学中のことでした。
1999年当時のカリフォルニア、少なくとも私たちの地元のベンチュラではクラフトビールはあまり盛り上がっていませんでした。
しかし、オレゴンでは話が違います。
エリックと私はすぐに「ビアクラブ」と呼ばれるイベントを始めました。
ビアクラブのルールは、全員がまだ飲んだことのないビールを持ってくること。
誰かが飲んだことがあるかどうかは関係なく、自分が飲んだことのないものを持ってきて、それをグループでシェアするのです。
自分が持ってきたビールについてプレゼンして、グループでああだこうだとディスカッションするのです。
現代のボトルシェアをよりフォーマルにした感じでしょうか。
最初の1年間は、市場に出回っているほとんどのビールを試したと思います。
こうやってクラフトビールの世界に足を踏み入れたわけです。
2002年に大学卒業して、私はロサンゼルスの大学院に進学、エリックは地元のベンチュラに戻って建築デザイン会社に勤めました。
2005年に大学院を卒業しようとしていた私に、エリックは自分の設計事務所で面接を受けてみないかと誘ってきました。
彼が面接の場にいたので、もちろん即採用です(笑)。
この頃から私たちはより本格的にどっぷりとクラフトビールの世界に浸かっていくようになりました。
クラフトビールの醸造所が増えてきて、エリックと私はお気に入りのビールを求めてあちこちに出かけるようになりました。
90年代半ばからはホームブリュワーだった私の叔父も、一緒に参加してくれるようになりました。
ある夜、叔父が私たちに「ビールの醸造方法を学ばないか」と聞いてきました。
私たちの答えはもちろん...イエス!
ここから、私たちのホームブリューイングの時代が始まったのです。
叔父は醸造キットの設計図をオンラインで見つけてきました。
これは半自動の醸造システムで、その当時ホームブリューイング専門店で購入できた醸造キットの一歩先を行くものでした。
私たちは、ステンレス製のチューブやポンプなど、15ガロンの小さな醸造キットを構成するすべての部品を購入し、自宅のガレージで稼動させホームブルーイングに足を踏み入れました。
この頃はとてもエキサイティングな時期でした。
仕事もしてたので、ほぼ毎週末、数年にわたって醸造を続けました。
温度管理できる部屋も作り、その中に発酵タンクを設置しました。
叔父は伝統的なスタイルの醸造家でしたが、エリックと私はもっと冒険的で、サワービールや複数の酵母を使った発酵に興味を持つようになりました。
エリックのアパートの地下室には、さまざまなサワービールを入れた10~15個のカーボイが眠っていました。
私は自宅の予備のクローゼットに入れていました。
この頃、エリックも私もビールをコンテストに出品していました。
エリックは全米レベルでいくつかの賞を獲得し、私はよりローカルなレベルでいくつかの賞を獲得しました。
自分たちのビールを友人たちに飲んでもらえれば飲んでもらうほど、「醸造所を作らないのか」と聞かれるようになりました。
人々は私たちの醸造したビールをとても楽しんでくれていました。
エリックと私はベンチュラのダウンタウンを歩いて建物を見ては、「あそこにブリュワリーを作るといいんじゃないか」というような話していました。
その時は、ただの夢でした。
その夢がいつか現実になるとは思ってもいませんでした。
2014年頃、エリックはサワービールをボトルシェアに持ち込み、カリフォルニア州オックスナードに住む筋金入りの熱狂的なビールファンたちに、私たちが造ったビールを紹介しはじめました。
彼らは、エリックが作ったビールに魅了されていました。
その頃、エリックと私は会社を立ち上げようと真剣に話し合い始めていました。
そんな時、あるボトルシェアの場でライアン・エクスラインを紹介されました。
ライアンは、誰にも負けないくらいのビールへの情熱を持った熱狂的なビールファンでした。
彼はインディアナ州出身で、南カリフォルニアに引っ越してきて私たちが造っているものを試してみたら、すっかりその気になって何かを始めるのを手伝いたいと言ってくれたのです。
こうしてカサ アグリアは誕生しました。
当初の計画では、主にサワーと複数の酵母を発酵させたエールを扱い、ボトルをオンラインで販売する予定でした。
カサ アグリア(Casa Agria)とは「酸っぱい家」という意味で、自家醸造にルーツを持つ私たちのバックグラウンドを示す名前でもあります。
オックスナードを選んだのは、アメリカでも最も豊かな農地の土壌があったことと、農地の近くに拠点を置きたかったからです。
地元で栽培された果物やベリー類をビールに使用できますしね。
この頃、私たちは自分たちの醸造設備を購入するための十分な資金を持っていなかったので、他の地元の醸造所で醸造できるように交渉し、1回の醸造ごとに495ガロンの麦汁をその醸造所から私たちの施設に運び、私たちの施設で麦汁を発酵させました。
2015年の大半はこの方法でサワービールの在庫を確保していました。
そして、2015年12月に創業しました。
用意していたのはサワービール1種類でしたが、サワーが苦手なお客様のために別の選択肢も用意しなければと考えました。
そこで私たちは、カサ デル ノルテ(Casa Del Norte)という名前のヘイジーIPAを醸造することにしました。
そう、今回日本で初めて取り扱うビールですね。
私たちがヘイジーIPAを造りたいと思ったのは、IPAは酵母が主体であり、その点でサワービールの醸造に似ていたからです。
2015年にベンチュラ郡でサワービールを造ることは十分に他と異なっていましたが、私たちはさらに他と違うことをしてみようと思い、ヘイジーIPAの醸造に取り組み始めました。
当時のヘイジーIPAはまだまだ新しいものでした。
施設内に30平方メートルほどの小さなテイスティングルームも作り、本業の傍らで夜遅くまで醸造所で働きました。
2015年から2018年にかけて、私たちはビールのバラエティを増やし続け、さまざまな一回限定のヘイジーIPAや、おびただしい数のサワーエール、ワイルドエールを生産しました。
2017年にはエリックと私は本業を辞めてフルタイムでブリュワリーで働き始め、翌年には30バレル生産できる醸造所を購入し、元の建物の前にある広大なスペースに生産施設を移しました。
2020年7月にはテイスティングルームを小さな施設から移転し、9メートルのバーカウンターと大きなバレルルームを備えた200平方メートル近くの美しいオープンスペースになりました。
2021年には自社製の缶詰ラインを購入し、2~3種類のブランドを週に160~240ケースずつパッケージングしています。
ビールも、サワーだけでなく樽熟成のスタウトや西海岸のIPA、さわやかなピルスナー、ラガーなど醸造するスタイルを増やし続けています。
私たちは、今回自分たちのビールを日本で飲んでもらえることにとても興奮しています!
タップルーム
Oxnard Tasting Room (カリフォルニア州 オックスナード)